ネガポジ
12日間続いたブログは。13、14と一度止まりました
13日、ほんとうに心がつらくなる会話があった
辛いと、ひとは言葉をうしなうのだな
そして、やっぱりぼくはだからうたうのだと思った
「ぼくといると前向きになれる、といってくれるひとがいて
ぼくはわりに自分のことをともすれば後向きになる人間だと思っていて
うれしい、というか、
まぁそんなら生きてもええかとちょっと思えるな」
というツイートをした
これには続きがあって、
"ともすれば後向きになる人間" がなぜそのことばを
すなおに受け止められるかというと、
そのひとはぼくのその性質も知った(=表面的にor無理に
前向きに振る舞っているわけではないと理解した)うえで
おもいを汲み取ってくれている気がして
ぼくはそこにやさしさを感じるし、勇気づけられている。
のです。
少なからずいてくれるらしい、ぼくからポジティブなものを
受け取ってくれるひとたち
そちらの方を向いて、生きる
嫌なことに目を向けない、ということではなくて
変換してゆく
やじるしの向きをそちらへ向けるのです
変換、変換
ぼくのネガが、ポジに変換されたように
"そんならちょっと、生きてもええか"
うれしい言葉をかけてくれたひとが撮ったぼく。
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