いたみについて
ぼくはいたみにめっぽう弱い。
メンタルにしろ、フィジカルにしろ
もしかしたらおもってるよりフィジカルからきていること多いのかもしれんけど
(空腹を含む。あれってもはや痛みだよね)
子供の頃は過敏性腸炎で、原因不明で、いく先々の病院でストレスですねと言われ
親にわらわれていた
いや実際ストレスだったんだと思うが、今日はその話がしたいのではなくて、
8月末、LIVE前日からはっきりと喉の不調があらわれた
そしてそれは1ヶ月ずっと続いた
9月はLIVEこそお休みしていたけれど、それは大切なレコーディング、そして
その翌日の舞台のためだった
10月1日には1周年ソロライブもあった
ずーっと落ち込んでいた。そりゃそうだ
でも、ある時ふっと考えが変わった
ぼくは、いたみに、とってもとっても意識が向いてしまう
1日のワンマンやってみて改めておもったけど
歌詞にも いたみ がよく出てくる
これはぼくのひとつのテーマなのだと思う
だけど、
喉の痛みがずっと治らなくて、尊敬しているうたの先輩に相談して、
からだは楽器だから、
という言葉、
いうても割とそこそこ耳にするっちゃする言葉かも知らんが
その時すっとからだに染み込んできて、気づいた
楽器は、どんなに傷ついていても、よい音が鳴る
なんなら傷ついている方が鳴ることすらある
傷ついているからこそ、でる音もある
ぼくは
楽器なんだ
音なんだ
楽器には
音には
いたみ という感覚は存在しない
ぼくがどんなにいたくても
よい音が出せれば
それを届けられたらいい
それだけだ
そうおもったら、
不思議と
いたみに
そこまで意識が向かなくなった
違和感は、正直今も消えてはいないのだけど、
レコーディングも、舞台も、1日のワンマンも
しっかり、声がでた
今までは、いたくて、いたくて、悲しくて、不甲斐なくて、、
のループに陥りがちだったのだけど
ぼくは生きてきた楽器
いたみもきずも生きてきた証
楽器にはいたみがない
声はいたみを感じない
そういうふうにすっと落ちて、
いたみへの意識がすごく薄まった
これは、これからうたう上で
とても、大切な、感覚だった。
うたわせてくれてありがとう
初めて、舞台に使用する音楽を作りました。ぼく、不在の、声。
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