あしながおじさん

あしながおじさん、


になる夢をよく見た。


物理的に。


すんごく足が長くなって、ビルとか跨いで歩けて、

で、その夢で毎回かならず

「もーなんでいつもこの歩きかたを遅刻しそうな時にやんないんだろ」

って思って、

思ったところで目が覚めるまでがセット。


なんでそんな話をするかというと

今わたしは、あしながおじさん気分なのです


今までの自分はずっと、今日のいまのことを考えるのがやっとで

明日のことを前日する、が限界の

いっぽいっぽすすむ生き方だった


だからなのか。まわりに、大人になると一年過ぎるのがはやいよと言われ続けて

大人になってしばらく経ったけど全然一年がはやくないなと思っていた

毎日を、毎日として、生きることが自分にとって、大切だった


だけどそれでは、大きな規模の計画(たいてい長期的)を立てたり

一朝一夕にはできないような、技術を伴う、質の高いものを創作したりするには

限界があるのだと知った。


ようやく


mi-farとして動き始めて、少しずつ、中長期的な計画も企ててみることにした


それには、人も巻き込むし、細かな締め切りも増えるし、

いつも明日、だけじゃなくて1週間後1ヶ月後3ヶ月半年と先を考え続けて

動かないといけない


だけど、そのかわり、いろんなことが動き出している

振り返ると、

あの時まいた種が今芽を出したな、とか。

あの時だした一歩が今着地しようとしているな、とか。

それがわりとはっきりとわかる、手応えがうれしい。


この、前への進みかたは

わたしが夢の中でやるあの"あしながおじさん歩き"だと

ふと合点がいった


歩く速度が速くなったとか、自転車や車に乗ったとかじゃなくて

足がちょっとずつ伸びて、歩幅が伸びていっている感覚


そういうやり方で、ちょっとずつ、進みかたがはやくなっている


大人になったら時間が進むのがはやくなると言われて

ちょっとこわいなって思っていて

わたしは1日1日をちゃんと、端から端まで塗りつぶすように終えたいと思っていたから

(お仕事でいそがしくしている方々が、ちゃんと1日を生きていないと言いたい訳では

ないのです)


実際ちょっとずつ1日の体感がはやくなっている気はしていて

塗りつぶせていない部分もあるのだけど

今までやりたかったけど諦めたり満足いかない結果になっていたことが

実現できそうで、

そういう塗りかた、歩きかたもいいかもしれないと今は思っている


ちなみに

圧倒的わかりやすさで、塗りつぶせなくなった部分

(こなせなくなったルーティーン)として

10歳ぐらいからつけるのをやめたことのない出納帳(おこづかい帳)が

まる3ヶ月溜まっており


これは本当になんとかしないといけない。


へるぷ、あしながおじさん。


このデニムの白い所は、青森の海に入った時きづいたらしっかり濡れていた時の名残の塩なのだけど

とってしまったら青森の思い出とともに消えてしまう気がして洗えないのです。不潔?

Take mi far.

ピアノ弾き語りの Singer Song Writer "mi-far" について

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